愛善苑 月光分苑
わたしたちは、神素盞嗚大神を祀り、出口王仁三郎聖師の「霊界物語」を神教と奉ずるグループです。 「相教誨」をモットーに、改革の精神を忘れずに活動しています。

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当分苑の活動に関心のある方は、下記にご連絡下さい。
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NEW!第10回平和と非暴力の活動国際会議

NEW!10th International Conference on Peace and Nonviolent Action

共謀罪 陰謀の実態 - スサノヲと八岐大蛇寸断の物語 -

第9回平和と非暴力の活動国際会議

9th International Conference on Peace and Nonviolent Action

2016年 新年のご挨拶

英訳『五情の戒律』
The Five Activities of the Mind

英訳『霊界物語第40巻13章 試の果実』
The Story of the Spirit World Vol. 40 Chapter 13


ハイデラバードでの世界仏教文化協会主際の会議におけるスピーチ
目崎真弓

2015年1月の月光分苑 月次祭を1月11日おこなわせていただきました。

華道(日本文化)を通じて十数年、イタリアで宣教活動を続けている目ア真弓さんの活動が、パルマの新聞で報道されました。

アヌヴィバ主催・第8回国際会議「非暴力の未来にむけて」
Seeking for a Non-violent World: Sharing New Values

英訳『霊界物語第40巻12章 心の反映』
The Story of the Spirit World Vol. 40 Chapter 12


緊急提案

震災・原発事故被災者救援のために玉井資金を全額投入せよ

論説・エッセイ・座談


座談『霊界物語の読みかた』

座談『ことたまの助くる国』

『神の国』誌掲載の「出口汪さんのメール文」に対する佐藤隆氏の反論掲載について
武田崇元

宗教法人愛善苑機関誌『神の国』2012年7月号に掲載の「出口汪さんのメール文」に関して
佐藤隆
トスカーナの女神
目崎真弓

訴訟と神話
目崎真弓

出口王仁三郎とモーツアルト

大説


『神の国』343−4号に掲載の塩津晴彦役員の妄論について
武田崇元

出雲参拝記・スサノオゆかりの神社をたずねて
松田 明

霊界物語・音読のお願い
 
目崎真弓


夏祭りの台所お手伝いを終えて
 目崎真弓

教団公職者の責任について
武田崇元

迷走する『神の国』誌
 有志緊急座談会
  

雛形としての自覚
  松田 明

愛善苑の新思想 
  インド・ウダイプルにて
  目崎真弓


月光分苑 活動の記録


2007年(平成19年)

第6回 平和と非暴力の行動、国際会議への参加

平和への創造的非暴力
 愛善苑宣伝使 目崎真弓

非暴力:強力な交渉手段
白梅の会   奥原康晴

2006年(平成18年)

インド・ジャイプールにて開催のIOU円卓会議における目崎真弓のスピーチ(日本語翻訳)

同英文

2001年(平成13年)

第六回イタリア沖道国際交流会と愛善苑海外宣伝の旅

1999年(平成11年)

イタリア訪問をふりかえって 松田明

出口和明先生イタリア宣教同行記 目崎真弓





平和への創造的非暴力
愛善苑 宣伝使 目崎真弓
2007年12月28日

於:第6回<平和と非暴力の行動・国際会議>


 アヌヴィバの主催するこの会議のテーマ「平和と非暴力の行動」は人類にとってたいへん重要な意味をもっていると私は思っております。この会議に出席し平和について考えていらっしゃるみなさまとお会いできることを幸せに思います。
 私は日本の神道の一つである「愛善苑」からまいりました。

 私は今の世界の現状をたいへん残念に思っています。
 技術革新によって、多くの人が地上や空を移動する時代になり、情報は瞬時に伝達可能な状況でありながら意思の疎通は難しく、しかも戦争はやまず、紛争地では子どもまでが兵士として武器を持つ状況です。グローバリゼーションによって貧富の差は拡大し、物価は高騰し、生活難に苦しむ人々が増大しています。それに加えて、地球環境の温暖化など人類はますます困難に陥っているからです。

 このような状況と時代を、私の信ずる救世主・月の神「出口王仁三郎」はすでに1921年から予言し人類の救済のために教えを説いています。彼の行動は常に積極的な「非暴力」で貫かれていました。
 当時の日本は「天皇」絶対の君主制で「天皇」は「神」として君臨していました。1800年代後半からは「天皇」の名によって戦争が行われるようになったのです。このような難しい時代にあって宗教者が政治にさからって「平和」を説き行動することがどんなに危険を伴うことか誰にも理解できると思います。
 1921年(大正10年)2月から6月17日までの126日間王仁三郎は国家権力によって投獄されています。罪状は不敬罪と新聞紙法違反。しかしこの事件は捏造による弾圧でありました。そして法的根拠がきわめて薄いにもかかわらずみずからの費用で神殿を破却させられ、王仁三郎は126日間投獄されました。

 大正10年(1921年)5月22日、英字新聞のThe Japan Chronicle が「政府と大本教」という社説を発表しているので、その内容を紹介しておきます。
「大本の唱導者らが・・・・・天皇の統治権を無視したと解釈されているが、これはすべての神政論に共通する、神職に重きを置く傾向があることを示している。この傾向はユダヤ教と同じくキリスト教の歴史においても明瞭であり、主権が神職のもとに置かれるのは当然である。大本が政治権力の忌憚に触れたのは「神諭」において日本上流社会を厳しく叱責したのによる。・・・・etc」(出口京太郎「巨人出口王仁三郎伝」より)

 この事件を第一次大本事件と呼びます。
 この事件のさなか、1921年10月18日、王仁三郎は神殿破壊の音を近くで聞きながら、「霊界物語」の口述を始めました。弾圧を受けながら、人々の霊性向上のために教典の口述編纂に着手したのです。彼は権力による暴力に屈することなく文化的手法によって新たな活動に入ったのです。

 次に第二次大本事件。罪状は不敬罪と治安維持法違反。これは1935年12月8日に始まりました。第一審の判決は全員有罪。しかも自白の強要や捏造、拷問が行われた。第二審では裁判長が審理の結果、治安維持法違反については全員無罪と。不敬罪は1945年の敗戦によって無罪となったが事件勃発の1935年12月8日から2435日間、王仁三郎は未決のまま獄に収監される。未決出所は昭和17年(1942年)8月7日であった。この間、予審の審理中から聖地の施設は国家権力によってほとんど破壊されつくし、神殿である「月宮殿」は1500発以上ものダイナマイトによって破壊される。また土地も政府によって取り上げられ家族や役員をはじめ多くの信者が苦難の道を歩み、とらわれて拷問を受け獄死したものもありました。判決も出ないうちの権力の一方的な暴力、これは国家権力による不当な弾圧として日本の歴史に汚点を残しています。

  第二次世界大戦が終わり、王仁三郎の教団も不死鳥のように再建が始まると、弾圧事件の補償を求める声があがりました。

「ある日、弁護士が集まって彼の家の一室で事件の賠償、刑事補償の請求について協議し始めた。それはおそらく想像もつかないほどの金額にのぼったことだろう。しかし王仁三郎がそのことを知って「そんなケチなことはしないほうがよい。敗戦後の政府に請求しても、それはみな国民の税から取ることになる。そんなことはできるものでない。今度の事件は神の摂理だと思っている」聖師の一言で大本は一切の賠償要求の権利を放棄した」
 ここには自分の権利よりも人々を愛し優先する広い暖かい心があります。(野上龍「ある新興宗教の教祖」 ・『文芸春秋』1964年7月号より)

 彼が権力による不当な弾圧に対して賠償要求の権利を放棄したことに加えて、彼が
「神は日本が連合国を相手に戦争をしているときに、戦争に協力できないように私を牢屋に入れたのだ。平和な時に平和を説き、戦争になったら戦争に手を貸すような人間は平和を説く資格が無い。だからこれは神の摂理だ」
と語っていることは重要な注目すべき点であります。
 自分を苦難に陥れた相手を恨まず奉仕の道をあゆむこと、すべてを神の摂理として明るく生き抜き、人類に教えを残したこと。これらは非暴力の行動による平和への道しるべであります。非暴力とは創造的であり忍耐強く粘り強い、積極的な行動でもあります。

 昭和20年12月30日王仁三郎は鳥取の吉岡温泉において朝日新聞の取材に応じ、
「・・・・・いま軍備はすっかりなくなったが、これには世界平和の先駆者としての尊い使命がふくまれている。本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃されたときはじめて実現され、今その時代が近づきつつある」と述べています。
 王仁三郎は教えの中で、世界を平和にし、人々を幸福に導くための方策を説明しています。それは「型のしかけ」です。彼は、みずからその仕掛けによって犠牲となり、方策を実行しました。これはアメリカ軍の爆撃による日本の破壊と、敗戦後の天皇の人間宣言へと連動していきます。王仁三郎は、人が神として君臨する天皇制の間違いと向き合い、屈することなく非暴力によって戦い抜きました。

 「型のしかけ」について少し説明します。
 これは、王仁三郎の教団組織のなかに平和な状況を実現した場合、それが日本に投影され、つぎに世界に投影されていくという思想です。
 たとえば、新しい車を設計して売り出すとします。まず設計者はイメージやアイデアを設計図にし、つぎに小さなモデルを作ります。その上で問題なければ実際に試作し生産されることになります。
 しかけは神ですが、作業は人間の役割です。「型の思想」は、神によるユートピアを投影したモデル作りと実践を必要とするものであり、そのモデルがあたかもポジティブフィルムのような作用をすると説明しています。
 これは王仁三郎独自の思想です。非暴力こそがキーワードです。
 暴力による問題解決では絶対に平和な世界を実現することはできません。暴力がさらなる暴力を誘発することはすでに現実が証明しています。
 私はアヌヴィバの会議に敬意を表明するとともに平和と非暴力の行動の前進をこころから希望いたします。

注:Anuvibha(アヌヴィバ)
ジャイナ教テーラパンタ派の平和活動団体 代表 S.Lガンジー博士


 

月光分苑とは

月光分苑成立の背景

 1 いづとみづ
 2 愛善苑の成立
 3 事務局事件
 4 違法総代会と
    裏切られた改革
 5 迷走する金子体制と
   霊界物語改竄事件
 6 金子体制の崩壊と
    改革執行部の成立

愛善苑改造綱案

愛善苑運営の民主化を求めて

宗教法人愛善苑規則改正案

愛善苑会則改正案

追加会則案及び条例・細則案

<資料>
裏切られた改革
(平成8年-平成10年)
皆さんと考えたい愛善苑の立て直し (平成9年11月)

違法総代会直後の目崎真弓所感(平成9年12月

「神の国」誌における霊界物語改竄事件

座談会(2006年11月)

改竄の実例